忘れん坊の外部記憶域

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表現や言論の自由に関する見解~規制のメリットとデメリット

 ヨーロッパではナチスに関する事柄を禁止する法律があります。ナチスの礼賛や賛美、シンボルや敬礼の使用などが禁止されています。その是非については議論がありますが、私は表現や言論の自由を規制することによる弊害はそれを規制しないことによる弊害よりも常に大きくなると考えているため、軽く私見を述べてみます。

【規制のメリット】

  • 現在発生している人権侵害を名目上は除外できる。

【規制のデメリット】

  • 表面上は規制されても思想信条は外科手術や洗脳をしない限り変更できないため、地下に潜ってカルト化する危険性がある。
  • 善悪の判断を誰がすればいいのかが不明確になり、恣意的な運用が行われる危険がある。
  • 表現や言論においての快不快は情についてであり、規制すべきは実際の行動や傷害である。情の制限はナチスやクメールルージュと同様の所業であり、さらに民主主義国家において情を制限された盲目的な国民は独裁政権を産む土壌を作る危険がある。

 現代言語学の父ノーム・チョムスキー曰く、

 「私はこの論に賛成ではないし、論証も不備であると思う。

  しかし、どのように人を不快にする主張であろうと、

  それを公表する権利を私は支持する。」

 

 つまるところ、規制の是非については人の知性への信頼度合いによるものかもしれません。人は知性によって正邪の判別を自ら付けられるものであり、世の中には善なるものと悪なるものが乱立しているが教育によって知性を正しく育むことでその分別を付けられるという考えと、集団の知性は必ずしも適切な判別を行い得ないものであり、誤りを招く悪なるものは事前に知性ある人の手によって除外しておかなければならないという考えです。

 私は現実論者ですので、世の中から悪を排除することは不可能であると考えます。悪を除外するのではなく、教育に投資をすることで善悪の別を正しく付けられるようにすることこそが実行可能な対応であり、悪を全て事前に排除するというような理想論には同意しかねます。禁酒法の轍を踏まないよう、悪による現実的な被害や損失には刑法に基づいて対応すればよいのです。また自由主義の徒としては悪が一切排除されたディストピアに住むよりは善悪入り乱れたカオスな都市のほうが好ましいです。

 

 ヨーロッパのナチス禁止に対して分かりやすい反例としてはアメリカのNASAです。アポロ計画陰謀論は今でも論者が居るほどに人気のある懐疑論の一つです。これに対してNASAはその言論を封じるのではなく、懐疑に対してデータや証拠を公開することで社会へ是非を問いかけています。チョムスキーと同様に、懐疑論を出す自由もあれば反論する自由もあり、その是非を判断するのは世間であるというスタンスです。

 これは実に科学的なアプローチです。科学の定義は難しいのですが、科学哲学者のカール・ポパーによれば科学と非科学・疑似科学・宗教を分けるものは「反証可能性」があるかどうかが基準となります。つまり「自らが誤っていることを確認するテストを考案し、実行することができる」ものが科学です。表現や言論を統制した場合、是とされた事に対する反証可能性が失われてしまい、科学ではなく宗教化してしまうことが分かるかと思います。