忘れん坊の外部記憶域

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民主制と独裁制の比較~民主制の利点

 愚民の上に苛き政府あり、というように、民衆が愚かであれば政府は同様に愚かとなり、いずれは大きな損失をもたらします。

 そして世の常として、民衆は決して賢いとはいえません。胡乱な意見に流されて誤った判断をする危険は大いにあります。私自身は民主主義の信奉者ではありますが、民衆は誤るということを否定するつもりはまったくありません、むしろ民衆は頻繁に間違えます。また民主主義は皆で議論した上で物事を決定するため、判断は遅く、合理的でないことも多々あります。

 しかしそれは欠点でもありますが、利点でもあるのです。

 この世で最も効率的な政治体制があるかといえば、それは賢者による独裁制であることに間違いはありません。

 イメージとしては、

  独裁制は水のように粘性が低い流体で、

  民主制はヨーグルトのように粘性が高い流体です。

 どちらが早く流れるかは明白でしょう。

 独裁制における変革速度は民主制とは比べ物にならず、ムスタファ・ケマルのように市民のために働く独裁者であれば、彼らによる生活向上に救われた市民は共和制ローマが帝政に移行したのと同様に、進んで彼らに独裁権を与えるでしょう。

 

 しかしながら、この変革速度は危険を孕んでいます。もし独裁者が間違えた判断をした場合や独裁者が市民の利益を考えなくなった場合、それを誰にも止められなくなってしまうことです。毛沢東の大躍進・文化大革命やソ連のルイセンコ主義など歴史上無数の事例があるように、独裁が上手くいき続けることは残念ながらほとんどありません。上手くいった場合でも1~2代程度であり、100年続く組織化を行うことが独裁制ではできません。先に述べたように独裁制は水のようであり流れる速度は速いのですが、独裁者という大きな器を失ってしまうと水は四方に方向性無く流れ出てしまうのです。

 さらに言えば透明な水に染料のような異物が混ざった場合、それを分離するのは極めて困難です。独裁制は独裁権を持つ人間の純粋さに依存した極めて不安定な制度と言えます。

 

 対して民主制はヨーグルトのように流れる速度こそ遅いものの、途中で方向性が誤っていた場合に気付いて修正することができます。また独裁者という個人の器に頼らずとも緩い繋がりによってある程度集団としてのまとまりを保つことができます。異物が混ざった場合でもそれが全体に拡散するのには時間が掛かりますし、その部位のみを取り除くこともできます。

 最善にはなり得ないが最悪を避けることができる、それが民主制の利点です。